32歳、最終的にカンボジアに学校を建てるブログ

「自分にも何かできるかも」と思い、動き出そうとしている僕の心境や行動を綴ります。

あれから丸3年。。。今の恥ずかしい自分をありのままに晒す。

 

あれから丸3年が経ちました。

 

 

3年前のあの後、

カンボジアに行き、

 

 

 

日本語学校の経営者や

 

ごみ山で働く子供、

 

それを救おうと雇用を作る日本人など

 

ほんとうに様々な人に出会い

 

 

 

 

何もできない自分の小ささに

 

打ちのめされていました。

 

 

 

そして、貧しいから不幸なわけではなく、

 

そこにイキイキと暮らす

 

キラキラ輝いた笑顔の人々にもたくさん会いました。

 

 

 

 

自分、

 

ぜんぜん現状も問題も障害もなーんもわかってない。

 

 

 

ただのきれいごとか?戯言か?

 

 

 

 

僕のしたかったことって何だ??

 

 

 

 

誰のための何なのだ?

 

 

 

 

何か大きなことをしたくても

 

何をしていいかわからない。

 

 

 

 

 

出遅れている感じがする。

 

 

 

何の結果も持ちえない

 

何物でもない

 

 

 

何もしていない

 

そんな自分に気づく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前のことを

 

一生懸命にやってみる。

 

 

 

 

そこから見えるものもあるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

そんな3年間だった。

 

 

 

 

 

成果はあったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

色んな事に気づけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時感じていた、無力感。

 

それは、

 

 

「自分は、どんな風に思われているのか」 

 

 

というところがひっかかっていた。

 

 

 

 

そして、それは周りが実際どう見ているかじゃなくて、

 

 

自分自身が、

 

引け目を感じてしまっているというところ。

 

 

 

つまりは、自信みたいなものが打ち砕かれた感覚だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいやりたいと情熱を話すばかりで

 

何もしていない。

 

 

 

かといって、

 

他に何か一生懸命になって、

成功した体験も持ち合わせていない。

 

 

 

 

本当にふわふわしているだけの自分。

 

それが自分でもわかっていて

 

 

恥ずかしかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今なら言える。

 

 

 

そりゃ今は

 

何物でもないよ。

 

だって道の途中だから。

 

 

 

 

でも、そんなことはどうだっていいのだ。

 

 

最終的には学校を建てるのだから。

 

 

 

 

 

そしてそこでは、

 

キラキラした笑顔で夢を語る子供たちが

 

楽しそうに通うのだ。

 

 

 

と。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現状、

自由に夢が持てるような

国ばかりでないのは確かなのだ。

 

 

 

 

じゃあ、日本はどうか。

 

 

 

 

環境あれど、夢を追わない人々。

 

なりたい自分になれないとあきらめた人々。

 

 

あきらめが肝心。

 

 

 

 

ほんとにそうか?

 

 

 

 

実現したい夢をあきらめることと、

 

 

 

自分自身をあきらめることとは、

 

 

全然違うぞ!!

 

 

 

 

 

その違いすら考えたことない奴らに

 

とやかく言う権利はない。

 

 

 

 

俺は、あきらめない。

 

 

 

自分をあきらめない。

 

 

 

 

 

自分の可能性を一番信じたいのは俺だ。

 

 

 

 

当然、親すらもあきらめかけている。

 

元気で楽しくやってくれりゃそれでいいと思っている。

 

 

 

 

それまでの過程で、

 

何を言われようが関係ない。

 

 

 

 

 

そんな感じで

まだ、あきらめたわけじゃないことを

ここに記します。

 

 

 

 

 

 

カンボジアに行ってわかったのは

 

 

「道は1直線じゃないこと」

 

 

 

最短距離では、

 

僕はたどり着けそうじゃなかった。

 

 

 

 

お金を集めてポンと出せば解決する話でも、

 

学校建てたからオッケー!な話でもないからだ。

 

 

 

 

 

ただ、それすらも知らなかった。

 

 

 

 

それがわかった。

 

 

 

 

ナイス俺!!

 

 

そして焦るな。

 

 

 

 

 

必ずやってやるから、見とけって。

 

 

 

 

 

【決しておすすめしない】思考をシンプルにする方法とは!?

 

 

「気になる人ができたの。」

 

きっかけは単純だ。
2年近く付き合った彼女にフラれた。

 


「何言ってんだよ!
来年の8月に結婚しようって言ってたじゃんか!
そのために計画立てて、お金ためて、うんぬんかんぬん、、、」

 

とは言わなかった。

 

「わかった。じゃあ終わりだね。別れよう。バイバイキーン。」

 

悔しい気持ちとは裏腹におどけて見せた。

 

 

それが、僕。

 


「よし!これでまた違う女の子と遊べるぜ!
今はもう、誰とでもチューしていいんだぜ!」

 

口では、強がって何とでも言える。

 

 

それが、僕。

 

 


でも、変わろう。

 

なりたい自分になろう。

 

やりたいことを仕事にして、
いっぱい稼いで、いっぱい遊んで、
いっぱい愛して、いっぱい愛される、


そんな素敵な自分になろう。

 

 

でも、

正直、焦っていた。

 

32歳で、出会いなんてもうないんじゃ。。。

家庭を持つことができないかもしれない。。。

 

口から、目から、焦りが今にも飛び出しそうな勢いだった。

 

 

 

「ずっと一緒にいるものだと考えていたパートナーがいなくなった。」

 

 

 

1か月たった今だから、

 

前向きにとらえられる。

 

 

 

守るものがなくなった。

 

当たり前の幸せを守らなくてよくなった。

 そしたら、何だってできそうな気がしてきた。

 

 

これは強さだ。

 

 

積極性だ。

 

 

考えがシンプルになった。

 

 

ややこしいことは考えなくていい。

答えは一つ。

 

 

 

「やりたかったことをやってやれ」だ。

 

 

僕には守るものがないのだから。

 

 

『金持ちになってからでは、発展途上国に学校を建てられない』その理由

 

発展途上国に、学校を建てたいんです!!

 

 世界の子供が夢や希望を語り、

 みんながそれを実現していける、

 そんな環境を作りたいんです!!

 それが僕の使命だと思うんです!!!!」

 

 

 

酔っていた。

 

 

酒にも自分にも。

 

 

大先輩の前で。

 

 

 

 

―――人間は2種類に分かれるらしい。

『でっかい夢を語る人間』と『堅実な人生を目指す人間』

 

 

 

 

 

 

「そのためには、お金がいると思って、

 副業をしっかりと軌道にのせないといけません!

 資産運用も勉強しています!!」

 

 

「お金そんなに必要なの?」

 

 

「まぁ、自分のお金だけで学校建てようなんて大きなこと思ってませんけど、

 家族もちゃんと作って、迷惑かけずに生活していきたいですし、

 親も安心させたいです。

 また、十分な時間を作るためにもお金は必要なので……」

 

 

 

―――人間は2種類に分かれるらしい。

『でっかい夢を追い走る人間』と『堅実な人生を着実に歩む人間』

 

 

 

「今、貯金どれだけあるの?」

 

「え?

 あ、300万ほどですが、、、」

 

 

「まぁ、、、

 32歳にしては上出来じゃない。

 じゃあ、

 40歳になった時、その貯金いくらになってると思う?

 2000万?それとも600万?」

 

 

「、、、、、

 希望は2000万くらいですが、

 現実的に考えれば600万でしょうか、、、。」

 

 

「だよね。

 それでいつ学校建てられるの?」

 

 

「、、、、、。」

 

 

 

「そうよ、このままだと建てられないってことよ。

 今ある300万をうまく運用したって、600万にしかならないってこと。」

 

 

「、、、、、。」

 

 

「さぁ、どうするの?」

 

 

 

「、、、、、やります。

 今すぐ、やってみます。」

 

 

 

幸い、結婚を考えてた彼女にもフラれたばかり。

犠牲にするもんなんてない。

 

そうだよ。

やりたいならやりゃぁいい。

わざわざ遠回りする必要なんてないんだ。

 

ってか、発展途上国に学校ってどうやって建てるんだよ。

学校が必要な発展途上国ってどこだよ。

現状もクソも何にも知らねぇじゃねぇか。

 

よしやろう。

今から夢をスタートしてやるよ。

 

 

そんなこんなで、僕の夢はスタートした。

 

発展途上国に学校を建てたいと思った動機は何だろう?

 

いつからか、ずっと言っている。

 

「世界には教育を受けたくても受けれない子供たちがいる。

だから学校を作るんだ。」って。

 

 

そう思っている根底にあるのは何だろう。

 

 

 

普通でいたくない。

すごいことをしたい。

変わったことをしたい。

海外で活躍したい。

人の役に立ちたい。

すごいねって褒めてほしい。

自信を持ちたい。

 

 

 

結局、自分の承認欲求によることかもしれない。

 

 

 

でも、いいじゃない。

それで人も喜んでいるなら。

それが、WIN-WINってことなんじゃないの?

 

 

もし神様が、

人それぞれに“使命”を与えているとしたなら、

それぞれの人が、「これが僕の使命なんだ」って気づく方法は、

 

 

まず、思いついたことをやってみることだと思う。

 

“思いつく”っていうのがまず、

天から与えられたヒントなんじゃないの?

 

 

そして、実際にやってみて、

「面白いな、楽しいな」と思うこと

 

それが、やらなければいけないことを示す“サイン”なのかもしれない。

 

この考え自体、

前向きすぎるかもしれないし、

肯定的すぎるかもしれない。

 

でも、正直なところ、不安で仕方ないのだ。

 

何か行動を起こすときには、こういう後ろ盾が必要なのだ。

 

 

 

 

カンボジアに学校建てるってどうするの?

発展途上国に学校を建てるということを思っている人は

なかなか多い。



でも、何から始めていいかわからない。



そんなことから、結局何もしないという人も多い。



でも、日本人は基本的にはボランティア好きだ。



僕も今、発展途上国に学校を建てたいと思っている。




さて何から始めようか。




ネットで調べてみると、

たくさん記事が出てくる。



建てるだけなら150万あれば作れるらしい。



でも、経営の問題がある。

先生の雇用、備品や筆記用具の管理、お金の問題。




また、学校がないから子供たちが学校にいけないのではなく、



家族からして、子供たちは働き手として重要な人員なのだ。




つまり、そもそも大人の理解が難しい。




貧富の差は広がるばかり。







さて、



僕は何から始めればいいんだろう。





現状をしっかりと見ることが最初なんだと思う。




夏、連休取れそうだし、カンボジア行ってみるか。